推しジャンルが余命宣告された話
ちょうどその日はゲーム内のイベントが終わって、ランキングが発表される日だった。
結構睡眠削って辛かったしガチャも渋かったけど推しのスチルもとても良かったし総合的に楽しかったな〜とアプリを開いたら、「サービス終了のお知らせ」が飛び込んできた。
「どう生きればいいんだろう」と一番最初に思った。しばらく寝転んで天井を眺めていて、夕食を作らないといけないのに、何も手につかなかった。
悲しみが深いと涙すら出てこないのだとその時、初めて知った。なんでだろうと脳がついていかなかったのもある。
サ終についてはそれなりに覚悟はしていたつもりだった。
元々検索をかければサジェストに「サ終」が出てくるくらい危惧されていたジャンルだった。他のゲームがサービス終了するのお知らせが流れてくる度に、うちも危ない!と布教祭りが始まる空気があったし、字書きの私の所へ「絵の方が人に多く見られるので絵を描いて界隈を盛り上げてください」と焦りすぎたマシュマロが届くほどだった。
愛されていたには愛されていたけれど、愛し方がコンテンツの命に直結していなかったのだ。とにかくあまり売上が良くなかった。
同社のゲームの売上でもってるようなものだと、そちらのファンから乞食だとか叩かれることもしょっちゅうだった。気持ちは分かる、自分が好きで払ったお金が好きなゲームじゃなくて別のゲームの運営に使われていたら私だって腹立たしい。
申し訳ないけど、そういうのは見ないようにしていたのであまり知らないけど、今回のサービス終了は誰かに喜ばれているかもしれない。そのせいでもうそちらのゲームはやりたくないって人もいると思う。
誰かのせいにはしたくないけど、何かに当たらないとやってられない人もいる。分かりやすく矛先を向けられるのは無課金の人だ。
運営からアイテムも頻繁にもらえたので、貯めやすかったのもあってイベントは比較的走りやすい。だから、イベントの上位ランカーに「無課金です」と無邪気にコメントに書き込む子がいると、界隈はサ終に敏感なので騒いだ。
今回のサービス終了についての知らせがあった時も、無課金だったことをツイートする人達もまた叩かれていた。
課金してる身からすれば、無課金だったことを言われたくない。知りたくもない。一番は公式に知られたくもない。
慈善事業じゃないのだ。愛だけでお腹は膨れない。愛でるだけは誰にでもできる。
お前らが殺したんだと呪いたくなるし、ペットショップで愛でていただけなのを死んでしまったら愛していたのに……なんて泣くのは烏滸がましいとも感じる。
それでも愛していた、その気持ちは嘘じゃないと思う。別に課金は強制じゃない。
家庭の事情で出来ない人がいるのも分かる。でもそれを明言すると責められるに決まってるのが分からないくらいには幼かったのだ。怒りや悲しみ、虚しさの矛先を向けられて嫌な思いをしてるだろう。でも、これでその幼さを反省して欲しいと他人事だから思う。
Twitterを見るとそもそもアプリに触れてこなくて名前だけ知っている人もサービス終了の話題には触れていて、なんだか滑稽だった。○○くんのこと気になってたな〜って人がこんなにもいたのにサービス終了するんだ。言うだけタダだけど、こんな時だけトレンド入りしちゃうんだって笑ってしまった。笑うしかなかった。
TLにはアカウントを移行するか消すか話してる人もいるし、オフラインで長く残せないかとか色んな理由で署名活動をしてる人もいる。終わってしまう事に対してツイートした声優さんの言葉に沈んだ人もいるし、別のことで気分を紛らわせようとしてる人もいる。ぼんやりとそれらを見ていて、私は何にもついていけてなかった。
まだ正直信じられていない。夢だと思いたい。グッズを売る場であるイベントを潰されてしまったのでコロナの影響もあると思う。にしても早すぎる。
この数年、心を占めていたのはこのジャンルだった。楽しかったことも、辛かったこともここにあったのだ。
いっぱい作品を書いたし、初めて同人誌を出して、オンリーイベントに参加した思い出もある。「この本が欲しくて今日来ました!」と言ってくれた人やpixivに上げた私の作品を読んで元々知ってたけど入れてなかったアプリを入れたと言ってくれた人もいる。
ゲーム内のイベントもエナジードリンクを飲みながら徹夜して走ったのも楽しかった。フォロワーと悲鳴をあげながら推しのストーリーを読むのも楽しかった。
それだって、まだほんの数日前の話でもあるのに、余命宣告されたせいで、これからやることもどんどん思い出になってくのが正直怖い。
夢だと思いたくて、でもゲームを開いては飛び込んでくるバーナーに書かれたサービス終了の文字に、何度も現実を突きつけられる。
楽しいな、可愛いなとゲームをしててもいつでも会いに行けるキャラにもう会えなくなる日がもうすぐ来るのだと、胸が苦しい。
純粋に成長をする姿が眩しくて救いになって推していた子がいたし、クラスメイトのように消しゴムを拾ってもらってときめくような恋心を抱く子がいたし、甥のようにお小遣いをついつい多めに渡して可愛がってる子がいたし、娘のように思い、父親目線からハラハラと心配している子がいた。
絵もキラキラ可愛くて素敵で、ストーリーはフルボイスで、毎日キャラたちの様子が更新されるシステムがあったし、愛してる贔屓目かもしれないが、どうして人気が出なかったんだろうと思う部分ばかりある。
恋をしてるみたいに夢中になっていたし、この片手にも満たない数年を捧げて、振り回されながら深く愛していた。
その時間を呆気なく一言で終わりを知らされて、命が消えていくのをどんな気待ちで見て待てばいいのか分からない。
同じ日に多くのソシャゲが終わるのを見て、本当に生き残るのは本当にごくわずかのゲームなんじゃないかと、思った。
ソシャゲは毎月のように更新があって絵やらスチルやらボイスやら新しい要素が魅力的だけど、据え置きである某動物島開発ゲームを見てると、アップデートでそれも叶ってしまうようになった。ダウンロードコンテンツを買えば追加要素も遊べる。言ってしまえば、確定ガチャだ。
勝手に言ってるだけだけど、ソシャゲの時代ももしかしたら終わるのかもしれない。私は推しを失ってこんな気持ちになるなら、ソシャゲから離れたいとすら思う。
悲しい、虚しい、その中で正直一番は悔しいのだ。中途半端な状態で終わらせてしまったことが。皆に円満にありがとう、楽しかったよ、またねって言える状態で終わらせられなかったのがとてもとても悔しい。
忘れなければ、その子たちはずっと生き続けるよと言ってくれる人たちもいるけど、ゲームのテーマなのに、皮肉なことに声から忘れていくのだ。どんな風に笑って、どんな風に悲しんでいたか、どんな風に驚いていたか、どんな風に悔しがっていたか、どんな風に生きていたか、いずれ思い出になる。今のこの気持ちも愛も思い出になってしまう。
それでも幕が閉じたあとも、しばらくは観客席でずっとアンコールを叫び続けると思う。ここにいたのだと証を残せるように、粘ると思う。
私にとっては未来を、生きる理由を失ったようなものだけど、今これを見てくれた人にとっては取るに足らない、どっかのソシャゲのただのサービス終了だと思う。
それでいい、私もまた誰かにとってのそれだから。
この呪詛を最後まで見てくれてありがとう。
もっと一緒に生きていたかった。